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第三回レポート/「瞽女と儀礼〜民俗文化を読む〜」

2010年10月14日

もんてんごぜプロジェクト

夏真っ盛りの8/8、第三回目のテーマは瞽女×民俗学でした。
映像を観た後、ゲストの伊勢崎市赤堀歴史民俗資料館長で民俗学者でもある板橋春夫さんのトークで二部がスタートしました。

■民俗学=way of life

板橋さんはそもそも、タイトルである「民俗とは何か」「儀礼とはなにか」という言葉の説明から始められました。
「民俗」とは、日本の言葉では比較的新しい言葉であり、folk-lore(大衆民衆の学問)という意です。つまり民俗学とは、庶民の暮らしや習わし、習慣に焦点を当てる学問とのこと。そして儀礼はハレに関わるものが多いとのことでした。瞽女さんの場合だと、瞽女さんが年に一度集まる妙音講がそれに当たります。

そして板橋さんの考える民俗学とは「生き方(way of life)を問う」ものであると言います。過去を考えることで未来に生かし、民俗学を通して生き方を問うようなもの。
これはキクイさんが映画の中で言っていた「ひとさまのおかげで生きてきた。だから唄でお返しをする」という言葉につながるものであると板橋さんは仰しゃります。この言葉の根底にある考え方が「way of life」的な生き方であり、その視点でこの映画を観てみようというのが今回の趣向です。

 

板橋春夫氏/もんてんごぜプロジェクト

板橋春夫氏

 

■風景の美しさとは見いだされるもの

板橋さんがまず注目したのは、映像の中で映し出された風景についてでした。映画には、昭和40年に撮られた棚田の風景が度々映ります。それは郷愁を誘い、日本人の原風景のように見えますが、実は少し物足りない「人の手が入らなくなりはじめた末期の棚田の風景」だと板橋さんは指摘します。高齢化もすすみ、残そう、という人はいうけれど、現場のひとたちはどうしたもんかな、思っているのが現実である棚田。風景というのは、いつも外部の人のまなざしによって発見され、見出されるものであり、瞽女さんも似たような存在であるとも。

また、映像の中に「昭和という時代に、瞽女さんはなぜ消えなければならなかったか」という台詞がありましたが、社会的弱者への対応、情報の変化、テレビがはじまり、娯楽が変化していくにつれ、瞽女宿といったシステムがなくなるというのも興味深い現象だと言います。

それから、板橋さんが伊勢崎市の市史編纂室で伊勢崎の歴史を調査していたときに得たお話しもありました。
明治の頃、群馬で耳だれに効く家伝薬(家だけに伝わる民間の薬)で「御夢想」(ごむそう)という薬があり、群馬では有名だったそうです。ある日、そのうわさを伝え聞いた新潟の人間が尋ねてき て「御夢想」をゆずってくれ、と言ったそうです。「御夢想」は群馬では有名ですが、新潟の人が知っていたのは珍しかったので、どこでこのことを知ったのかと問うとその人は「瞽女さんが教えてくれた」と言ったそうです。瞽女さんが情報の伝達者でもあったことがわかるエピソードです。

映像でキクエさんの言葉で、「目あいてる人は不自由だね」という台詞が出てきますが、これらは盲人の学者だった塙保己一、同じく盲人で三味線の名手高橋竹山にも同じ台詞があることも指摘していました。

■瞽女さんの生き方(way of life)

そして板橋さんは瞽女さんのふるまいにも着目します。
映像に映る瞽女さんの食事の作法にも注目します。ごはんを食べ始めるとき、瞽女さんたちは口のところにお茶碗を持っていき、ごはんをこぼさないように食べています。

これは現在ではあまり行儀がよくないと考えられている食べ方ですが、ごはんを落とさないように食べる合理的な食べ方でもあります。また、食べ終わったごはんに白湯をいれて飲む、というやり方もありました。これも一見行儀の悪い食べ方だと思われますが、食器を洗う習慣のなかった時代の無駄のない食べ方でもあり、昔はほかの多くの地域でもやられていた食べ方でした。現に、板橋さんが昭和40年代の民俗調査をしたとき、食器を洗うという風習はほとんどなく、食べ終わった食器は箱ぜんに入れてそのままというのが主流だったということです。
たしなみとしての掃除についても言及がありました。目が見えないからこそ家をきれいに掃除し、火事を出さない。ある種、当たり前すぎる当たり前の暮らしを盲人であった瞽女さんたちがやっていることを指摘します。

そして、ある種の神聖化についての言及もありました。

瞽女さんからもらったお米は頭がよくなる、という言い伝えから「瞽女の百人米」という言い伝えにも触れられました。これは、こどもが生まれると近所から33軒、100軒の家からきれをもらって産着にする風習やお百度参や千度参りといった風習など、日本各地で見られる風習のひとつです。この場合の百、千とはたくさんの意識としてとらえられていて、相互扶助の力によって大きな力にする、という考え方が根底にあり、そして米には、たくさんの力がある、という考え方が結びついているのではないかとのことでした。
また、盲人であった瞽女さんが地域社会で大事にされていたのは、古来からの考え方に知的障害や身体障碍者は共同体において富をもたらすものとしてとらえられていた福子(ふくご)という考え方があったのではないか、とのことでした。(福子のほかの例として、仙台で福をもたらすと考えられていた仙台四郎や頭の大きい福助などがあげられます。)瞽女さんの神聖化の別の例として、群馬では、蚕室で瞽女唄を唄うと蚕がたくさんとれるという言い伝えがあり、瞽女が群馬に来ると蚕の部屋で唄ってもらったそうです。また、お産するとき、三味線の切れた弦をほしがる伝承があり、それは「産=蚕=三」につながることから、やはりある種の「福」をもたらすものとして瞽女さんはとらえられていたようです。

最後に瞽女と同じ門付の風習を持つ群馬の春駒が行われる映像を見せてくださいました。

春駒とは、2月に地元の青年が女装して門付けして、家々を回って行く習わしだそうです。女唄う装した男の人が6日間、蚕の種を孵化させましょうという唄を唄い、一日で30軒近く回ります。家ごとに回って福をもたらす、というのは瞽女と共通するものではないでしょうか、というたくさんのヒントを投げかけて板橋さんのお話は終了しました。

■マレビト=訪問者がもたらす祝祭

第三部は板橋さん、伊東監督、司会の斎藤を囲んでの鼎談です。

瞽女プロジェクトはお客さんがとも話し合う機会をもうけたいということを常々考えておりましたので、今回はよりお客さんと話し合うよう、客席と演者の間を狭くして、なるべく丸くなって座を作ります。

もんてんごぜプロジェクト
まず、板橋さんのトークで最後に見せていただいた群馬県の行事の春駒と瞽女さんの門付芸を照らし合わせながら、「訪れるもの」としての2つの芸を見ることからはじめました。

板橋さんの解説によると、春駒とはもともと芸人が大正時代に春先にやって来て、馬のミニチュアを持って蚕がとれる成功譚を唄う門付け芸でした。太鼓を叩く時に使った桑の枝を渡し、それを使って箸にして蚕様がいい糸を出す、とされていたのですが、ある年に、毎年やってきた門付け芸の親娘が来なくなってしまったことがあり、その年に蚕が不作だったそうです。そこで村の男性がその親子に習いに行って伝承を続けた、という経緯があるそうです。このような経緯の村の若い男性にとっても、着物を着て、お化粧をする「女装」ということは、日常生活から解き放たれたような特別な体験でもあるようです。

 

もんてんごぜプロジェクト

伊東監督

 

民俗学では、このようにときどきやってくるものを「マレビト」と呼びます。年に数度来て、なにか特別な空間を作り出す。瞽女さんもまれびとの一種ではないか、という板橋さんは指摘します。
これを受けて、伊東監督も瞽女さんは自分の住処や実家では唄わなかった、という話をされました。だから、当時瞽女さんが住んでいた高田の人々は、瞽女さんの唄を聞いたことがなかったと言います。瞽女さんが訪れることで、村村の日常の空気を変える役割がありますが、彼らは長くいてはいけないとされていました。お祭りなども本来の一番大事な部分は1日で行ってしまう、ということに近いかもしれません。

そして一方で、その一回の訪れを村のひとはとても有り難がり、「年に1度か2度しか来ないのに、兄弟みたいなかんじだ」と言った人もあったそうです。

また、昔の家々には貧しい人に施すためのご飯をとっておいて、家に置いておく、という風習があったことを板橋さんは紹介されました。それは来ても来なくても置いておき、家の前に来たらそれを与えるけれど、家の敷居をまたがせることはなかったそうです。それはある種の差別のように見えるかもしれませんが、福祉のシステムがある種、無言の了解のうちに瞽女が社会のシステムとして機能していたのではないか、それは瞽女さんも同じではなかったのかと言います。

 

もんてんごぜプロジェクト

斎藤弘美

 

そして、板橋さんが群馬県で瞽女さんに関する調査をした際に瞽女さんのことの思い出を語ってもらったとき、瞽女さんが来て楽しかった思い出とともに薄味の味噌汁を「瞽女さんの小便」を呼んでいたことが語られました。これは喉を使うのであまり味の濃いものを飲まない瞽女さんに出していて味噌汁をそう言ったのではないかという推察がありました。ただし、ここには蔑むニュアンスはなかった、という不思議なねじれがあります。
ここに受け入れる側と行く側のギャップみたいなのが見えるのは興味深いことです。

しかし、これはこのほか声がよくなるためにナメクジを食べさせられた(しかし、このナメクジは所謂ナメクジか蝸牛かが不明)という話や、北海道ー新潟間には船便があり、小樽の鰊(にしん)漁で富を成した人々が呼んで北海道にも瞽女さんは来ていたという話、瞽女さんが子供達に昔話をした場所が瞽女の縁側と呼ばれていた話、目黒の碑文谷や、やはり瞽女宿があったという伊東市の話、舞踏家の土方巽が70年代に作った舞踏の曲として瞽女唄を使っていたこと、土方亡き後に婦人と長岡系の小林ハルさんを尋ねたときのエピソード、瞽女唄のレパートリー、名替えの儀式など、お客さんからの意見や質問なども交えながらもあっという間の時間でした。

最後に板橋さんから、年に1度か2度は悲しい気持ちになって、泣くことが大事で、それが個々人の儀礼となっていた、それを瞽女さん訪れて、泣かせる唄を唄うことである種のカタルシスを与え、助けていたのではないか、という指摘がありました。

そして、最後に瞽女さんは社会の周辺の者であったけれど、そこを中心にして考えてみることの大事さ、視点を入れ替えてみることの意味を問つつ、会はお開きに。

彼女たちの暮らし方や生き方をみることで新たな発見をしてみよう、弱者と呼ばれていた瞽女さんの視点から見ると世界は変わって見えるはず、ということを板橋さんが仰ってこの日は終了となりました。

もんてんごぜプロジェクト

板橋さんが専門とされているのは「生と死をめぐる民俗学」だそうです。

これを具体的に言うと、あるおばあさんの話になるそうです。年をとったおばあさんが語った「朝起きて、生きていてよかったと思ったときが幸せだよ」という言葉。それは寝る前ではないことがポイントでもあります。あるいはこれは「生きている」ことを民俗学としてとらえなおす、ということではないでしょうか。わたしたちにとっての瞽女の意味、それを考えてみることが重要であり、そのための場作りとしての瞽女プロジェクトでありたいと思いました。

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10/10 第4回のテーマは「職業」、「福祉」、「共生」です

2010年10月6日

もんてん瞽女プロジェクト4回 目のゲストはの上之園佳子さん。
「瞽女という職業〜共生の文化〜」というテーマで お送りします。
これまで同様、まずドキュメンタリー映画『瞽女さんの唄が聞こえる』を上映し、 その後、上之園さ んに話のきっかけを作っていただき、会場のみなさんのお話も伺いた いと思っています。

かつて瞽女さんたちは村々を訪ね、瞽女唄を唄うことで生 計を立てていました。
盲目の女性たちが、自分の職業を持ち、自立することができた社会が、かつての日本にはあった、
『瞽女さんの唄が聞こえる』という映画を見て、そのことに驚き、ある種の感動を覚えた方も少なくないようです。
最近、しばしば耳にする「共生=共に生きる」とは何か、瞽女さんたちの生活が示唆するものを、映画を通して考えてみたいと思います。
ゲストには、人間の尊厳を支えるケアについて、あるいは人と社会の関係性からみるケアについてを研究の中心に据えている上之園佳子さんをお迎えして、障害 をもった方の「自立」をサポートするための社会のシステムや日本社会が持ってきた「文化としての支え合い」について、ご来場の皆さんとともに語り合い、考 えていきます。「福祉」「介護」に関心のある方、ぜひご参加ください。

なお、今回は特別上映として、『瞽女さんの唄が聞こえる』をライブ副音声でご覧いただきます。
ドキュメンタリーに視覚障害者が映画を見るための説明をつけるのは大変に難しい作業ですが、今回、活動弁士の佐々木亜希子さんが、その難しい副音声を生でチャレンジしてくださいます。

「 瞽女さんの唄が聞こえる」in 長岡アジア映画祭

2010年8月21日

映画「 瞽女さんの唄が聞こえる」が瞽女さんにもゆかりの深い、新潟県長岡市での映画祭で上映されます。

映画の上映とともに長岡の瞽女研究者である鈴木昭英先生の解説と長岡 瞽女唄を継承する「越後 瞽女唄・葛の葉会」の 瞽女唄披露があります。

伊東監督自身も来場し、鈴木先生と伊東監督の対談を行います。

第15回長岡アジア映画祭 ※9月6日(月)~12日(日)開催
開催日時 2010年9月6日(月) 12:40開演
会  場 長岡リリックホール シアター
料  金 全席自由 1回券900円(当日100円増)、3回券2,400円、フリー券5,500円、平日1日券1,500円(当日300円増)
お問い合せ先 市民映画館をつくる会0258-33-1231、(平日昼)長岡商工会議所0258-32-4500

多数のプログラムのうち、「 瞽女さんの唄が聞こえる」の上映は9月8日(水)14時30分より。

お近くにお立寄りの際はぜひご覧ください。

【瞽女さんを知る】国見修二さんの詩

2010年8月15日

詩や文学、絵画などの中には、瞽女をテーマにした作品が少なくありません。

ご自身も新潟出身で瞽女さんをテーマにした詩を発表している国見修二さんの詩「峠シリーズ」とご本人からのコメントをご紹介します。

国見修二/ごぜプロジェクト

■ 著者より

昨年、歩くことがテーマの詩集『瞽女歩く』を出版しました。また新潟日報で「越後瞽女再び」の連載では、人としての在り方を様々な角度から照射してみました。「歩き座禅」という言葉も使いました。その後、瞽女さんたちが、目あきも難儀するほどの峠を越えて、信州や僻地の村々に行っていたことを知り、歩くことの延長として、峠に着目して、自分も登ってみたくなりました。やはり実際の足で歩いて峠に立った時は、少し瞽女さんの気持ちが理解できるように想いました。高田瞽女が歩いた13の峠に登り、そこからの発想で詩を昨年から書き始めています。瞽女と詩は結びつかないかもしれませんが、瞽女が人としての生き方の核心を秘めている気がして、それを詩として昇華したいと考えています。

関田峠は、越後板倉町(現上越市)と信州飯山との境にある峠です。晴れの日は遠く日本海が見渡せます。高田瞽女は毎年6月後半にこの峠を歩いて飯山に向かいました。車でも険しい道を、歩いて通ったと思うと、それだけで何故か神聖な気持ちになります。瞽女さんの気持ちになったつもりで、この関田峠を、峠の境目を意識して詩にしました。「異郷に入ることの不安を〈迎える者の 心〉が打ち消す」と表現してみました。待つ者がいることの心の張り合いは、歩くエネルギーとなったはずです。

国見 修二 (くにみ しゅうじ)
1954年新潟県生まれ、上越教育大学大学院修了。日本詩人クラブ会員、上越「詩を読む会」運営委員。小学校、高校の歌作詞や組曲『妙高山』作詞、千代の光酒造『雪蛍のさと』ラベル詩作成や青海音物語『石の聲・記憶』原作などを行う傍ら全国各地で画家の渡部等と詩画展を開く。主な著作に詩集『鎧潟』(土曜美術社)、『青海』(青海町)『戦慄の夢』(近代文芸社)、『雪蛍』(よっちゃん書房)、詩画集『ふるさとの記憶』(上越タイムス社)、『若者に贈る言葉―光の見つけ方』(玲風書房)、短編集『黒光り』など多数。

8/8 第3回のテーマは「日本」、「民俗」、「文化」です

2010年8月5日

ご案内が間近になってしまいましたが
次回もんてん瞽女プロジェクト3回目のゲストは民俗学研究者の板橋春夫さん。
「瞽女と儀礼~民俗文化を読む~」というテーマでお送りします。

これまで同様、まずドキュメンタリー映画『瞽女さんの唄が聞こえる』を上映し、その後、板橋さんに話のきっかけを作っていただき、会場のみなさんのお話も伺いたいと思っています。

映画「瞽女さんの唄が聞こえる」にはいくつもの印象的なシーンがありますが、そのひとつに美しい棚田風景がありました。
日本人の心の原風景ともいえるその棚田も、農業の近代化とともに、姿を消しつつあります。

瞽女さんたちが通ってきた農村風景の変化は、日本人の生活文化の変化でもありました。
映画には瞽女さんたちの貴重な日常生活が記録されていますが、その生活はかつて一般的な日本人が行っていた普通の生活でもあります。
瞽女さんたちの記録を通して、瞽女さんという特殊な存在だけでなく、かつての日本人が大切にしてきた民俗や価値観を辿ることができるのではないでしょうか。
そこで板橋さんには、地元群馬県をフィールドに、長年にわたり特定分野に偏らず、広く民俗調査を行ってきた経験をいかしてこの映画から読み取ることのできる日本人の民俗世界を提示していただこうと思います。

みなさまのご来場を心よりお待ち申し上げております。

第二回レポート/「現代にいきる伝統芸能」

2010年8月5日

盲目の女旅芸人の集団、瞽女さんを音楽・伝統芸能・福祉などといった角度から見直していく、「もんてん瞽女プロジェクト」。

第二回のテーマはズバリ、”伝統を伝承すること”。
福岡の炭坑街で旅芸人・役者を営む家に生まれ、おじいさんの代からお父さんの代まで芝居小屋を商い、自身も俳優(芸人)である中西和久さんゲストをお迎えし、「伝統の芸を伝承する」ことについて話し合いました。

中西さんは瞽女歌としても歌われる「葛の葉」をモチーフにした「しのだづま考」のほか、「山椒大夫」、「小栗判官」を現代的社会的視点から再構成し、ひとり芝居「説経節三部作」として上演しています。

瞽女さんがいなくなり、モチーフとなる物語を知る人がどんどん少なくなる中、伝統の物語をどのように伝承し(伝え)ていくのか、というのを伝承の現場にいるその人と一緒に考えてみよう、というのが今回の趣向です。

■説経節と勧進、物語を唄にして語る

映画「瞽女さんの唄が聞こえる」を観賞したあとに司会の斎藤の紹介であらわれた中西さんは、大きめスーツに柄シャツ、手にはトランク、と一見すると寅さんのようなフーテン風のいでたち。「映画を観て、芸能の原点みたいなものを見るとともに、あの暮らしがずっと続いていたら、私のようなものはどのようになっていたか、ということを考えました。瞽女さんの芸能はいわば、今となっては見られない、捨てられた芸能ですがそれが古いから捨てられたのか、つまらないものなのか、ということを考えていきたい。そしてわたしは捨てられた芸能を拾いながら生きているような人間であります。」と言いながら、会場に用意された高座に上がり、おもむろにトランクを開けます。取り出したのは、三味線(の組み立てる前)。バラバラの状態です。
これを組み立てながらのお話しが始まります。まるで香具師(失礼!)みたい?

中西さんのお話は、そもそも説経節というのが何なのか、というところから。

説経節というのは、中世の時代に日本に仏教が入って来た貴族仏教を庶民のものにしようとしたときに生まれてきたもの。寺を建てるためのお金を集める(つまり個人からの寄付してもらう)ときにお坊さんが町に出て教えを広める際、教えを説くためにお寺の由来やありがたいご利益などを伝えるため、勧進をしていくときの物語をわかりやすく伝えるために、節をつけて、面白くして語っていく訳です。
これがお寺の”説経”であり、説経節であると言います。

この説経節が分かれていって各地の河内音頭や盆踊りになっていく、説経節が人形劇と結びつくと文楽になり、説経浄瑠璃になる。その中の一つに瞽女唄があるということでした。

代表的な説経節が、中西さんの代表作”説経節三部作”としても紹介された、「葛の葉」(「信田妻」など別名諸説あり)、森鴎外の著作として有名な「山椒大夫」、歌舞伎の題目などにも脚色されている「小栗判官」があります。
中でも「葛の葉」は、葛の葉という名の狐と人間が夫婦となり子を成すものの、その正体がばれて信田の森に葛の葉が帰っていく「子別れの段」というのが中でも有名で、「瞽女さんの唄が聞こえる」でも瞽女さんたちがその場面を唄い、村の人たちがじっと聞き入る、という場面が出てきました。(ちなみに、狐と人間のハイブリッドの子どもが安倍晴明と言われています。)

ご存知の方には当たり前の話かもしれませんが、「説経節って、葛の葉ってなに?」という者から聞くと、”勧進って歌舞伎の題目だと思っていたけれど、ファンドレイジングのシステムのことだったのか!”とか、”「山椒大夫」って森鴎外のオリジナル作品じゃなかったのか!”と目から鱗状態です。

こんなお話をしながら、中西さんの手はどんどん三味線を組み立てて行きます。
調弦をして組み立てたあと、トランクを開けたところに傾けるように置きます。

「ああ、三味線が聞けると思ったでしょ?でも三味線はしばらく置かせておきます。」と肩すかし。
三味線を寝かしているその間、実際に中西さんが説経節を行っている映像が上映されました。

■説経節の「声」とごぜさんの「声」

それから司会の斎藤、伊東監督、中西さんを囲んでの鼎談です。

伊東監督から「伝統芸能」というものをどのようにとらえているか、という質問に対して、中西さんは中世の研究者である盛田嘉徳さんがしのだづまの語り手たちについて書いた「しのだづまの語り手」の一文を読まれました。
「不遇な境遇にいた人々たちは社会との接点を持つことが許されず、彼らの心の中にあるせつやなさや、ささやかな抵抗などがつまっている、とりわけ「子別れの段」はたんなる子との別れだけでなく、自分の境遇の不条理さや社会との軋轢に対するうめき声があり、それは現代にも通じるものである」(要約)とのこと。中西さんはこの一文をいつも三味線と一緒に置いているとのこと。

映像の中でも「民衆の気持ちがつまっているものがたり」という一言がありました。

そもそも中西さんが説経節をはじめるきっかけが、小沢昭一さんの劇団に在籍していたとき、劇団が解散になり、一人芝居をはじめたときに「葛の葉」を初めて演じる機会を持ったそうです。招かれた側は大阪の人権センターというところで、「葛の葉」は人権に関わるということで上演することになりました。
説経節はそれらの「社会とのつながり」の歴史が現代まで通じる要素を持っていると感じたそうです。例えば、「山椒大夫」では、連れ去りに合う安寿と厨子王の姿が強制連行や拉致に通じ、「小栗判官」で小栗が病気になり、滋賀から熊野の湯につけると元の姿に戻るくだりはハンセン病の歴史が含まれています。

”説経節には社会の下層の人々の夢やうめきがこめられていて、それでも最後はハッピーエンド「まことにめでたき次第なり」で終わるんです。”

と中西さんは言います。。

中西さんは、テレビが出てきてご実家の芝居小屋が下火になっていくのを見て、大学生時代までは絶対に役者になろうとは思わなかったそうです。
高度成長の時代にごぜさんが消えていく時期と、中西さんの師匠である、小沢昭一さんが放浪芸を集め始めのは時期的に重なっているといいます。
そして昔の方々は説経節のものがたりを知っていたのに、ある時代からその物語を知らなくなる、これはどういうことなのか、という問題も話されました。

それから、本日のお題として、伝統芸能は「伝承」できるのか、ということについて。現代演劇は前のものを潰して潰して前に進んできた経緯があります。その中で「伝承」することは難しくなっています。

ただ、それを残してほしい、という人がいる限りは、何かの形で残していけるのだと思います、と中西さんは言います。

労働力と機能していなかった盲目の女性たちにとって、生きるすべは「按摩さんか、ごぜさん」。それでも、伊東監督が出会ったごぜさんたちは、りんとして生きていた、と言います。
瞽女さんはいなくなったけど、それを見たいと思う人がいるかぎり、今の世界に通じる。語る方法はあるし、瞽女さんが伝わっていた物語は伝わり続けられている。ただ、受け入れ側の変化がある、と伊東さん。

ただし、それを掘り起こし、残していこうとする力も働いていることも事実です。
説経節の忘れられた演者であった若松若太夫が福祉員から”発見”されるお話、小沢昭一さんが探し出して復活させた「猿回し」の芸のエピソード、高田の方がごぜさんについて初めて知り、自分のまちを見直すときに発信していこうと思ったということは、今の自分が観ているのを次の世代へ伝えていく術を持つこと。

そして最後は中西さんが高座へあがり、山椒大夫の「親子対面の段」を演じてお開きに。声の力とものがたり、それを伝えていくこと。「伝承」とは「意志」であるということを感じた今回でした。

6/13 第2回のテーマは「伝統」「芸能」「伝承」です

2010年5月29日

第2回のゲストは、「俳優」というより「芸人」という表現がぴったりの中西和久さんです。
先祖は旅役者だったという中西さんのルーツは、祖父の代で始めたという九州の芝居小屋。そこで育った中西さんは「自分の体と芸は離れられない」と感じるほどに、体に芝居小屋体験が染みこんでいるようです。中西さんの代表作である一人芝居の『説教節三部作』(「しのだづま考」、「山椒大夫考」、「をぐり考」)は、瞽女唄でもあります。
中世から続く日本人の心象世界を描いたこうした物語を、中西さんは現代の日本の姿を映すもの、時代をつなぐ『伝承』であるとこだわってきました。
当日は中西さんの一人芝居のDVDの一部を拝見しながら、今回のプロジェクトのテーマである瞽女唄と瞽女の芸は中西さんにとって、どのような位置づけなのか。伝承とはなにか、伝統芸能と現代社会の関係、などについて、会場の皆さんと共に考えてみたいと思います。