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第二回レポート/「現代にいきる伝統芸能」

2010年8月5日

盲目の女旅芸人の集団、瞽女さんを音楽・伝統芸能・福祉などといった角度から見直していく、「もんてん瞽女プロジェクト」。

第二回のテーマはズバリ、”伝統を伝承すること”。
福岡の炭坑街で旅芸人・役者を営む家に生まれ、おじいさんの代からお父さんの代まで芝居小屋を商い、自身も俳優(芸人)である中西和久さんゲストをお迎えし、「伝統の芸を伝承する」ことについて話し合いました。

中西さんは瞽女歌としても歌われる「葛の葉」をモチーフにした「しのだづま考」のほか、「山椒大夫」、「小栗判官」を現代的社会的視点から再構成し、ひとり芝居「説経節三部作」として上演しています。

瞽女さんがいなくなり、モチーフとなる物語を知る人がどんどん少なくなる中、伝統の物語をどのように伝承し(伝え)ていくのか、というのを伝承の現場にいるその人と一緒に考えてみよう、というのが今回の趣向です。

■説経節と勧進、物語を唄にして語る

映画「瞽女さんの唄が聞こえる」を観賞したあとに司会の斎藤の紹介であらわれた中西さんは、大きめスーツに柄シャツ、手にはトランク、と一見すると寅さんのようなフーテン風のいでたち。「映画を観て、芸能の原点みたいなものを見るとともに、あの暮らしがずっと続いていたら、私のようなものはどのようになっていたか、ということを考えました。瞽女さんの芸能はいわば、今となっては見られない、捨てられた芸能ですがそれが古いから捨てられたのか、つまらないものなのか、ということを考えていきたい。そしてわたしは捨てられた芸能を拾いながら生きているような人間であります。」と言いながら、会場に用意された高座に上がり、おもむろにトランクを開けます。取り出したのは、三味線(の組み立てる前)。バラバラの状態です。
これを組み立てながらのお話しが始まります。まるで香具師(失礼!)みたい?

中西さんのお話は、そもそも説経節というのが何なのか、というところから。

説経節というのは、中世の時代に日本に仏教が入って来た貴族仏教を庶民のものにしようとしたときに生まれてきたもの。寺を建てるためのお金を集める(つまり個人からの寄付してもらう)ときにお坊さんが町に出て教えを広める際、教えを説くためにお寺の由来やありがたいご利益などを伝えるため、勧進をしていくときの物語をわかりやすく伝えるために、節をつけて、面白くして語っていく訳です。
これがお寺の”説経”であり、説経節であると言います。

この説経節が分かれていって各地の河内音頭や盆踊りになっていく、説経節が人形劇と結びつくと文楽になり、説経浄瑠璃になる。その中の一つに瞽女唄があるということでした。

代表的な説経節が、中西さんの代表作”説経節三部作”としても紹介された、「葛の葉」(「信田妻」など別名諸説あり)、森鴎外の著作として有名な「山椒大夫」、歌舞伎の題目などにも脚色されている「小栗判官」があります。
中でも「葛の葉」は、葛の葉という名の狐と人間が夫婦となり子を成すものの、その正体がばれて信田の森に葛の葉が帰っていく「子別れの段」というのが中でも有名で、「瞽女さんの唄が聞こえる」でも瞽女さんたちがその場面を唄い、村の人たちがじっと聞き入る、という場面が出てきました。(ちなみに、狐と人間のハイブリッドの子どもが安倍晴明と言われています。)

ご存知の方には当たり前の話かもしれませんが、「説経節って、葛の葉ってなに?」という者から聞くと、”勧進って歌舞伎の題目だと思っていたけれど、ファンドレイジングのシステムのことだったのか!”とか、”「山椒大夫」って森鴎外のオリジナル作品じゃなかったのか!”と目から鱗状態です。

こんなお話をしながら、中西さんの手はどんどん三味線を組み立てて行きます。
調弦をして組み立てたあと、トランクを開けたところに傾けるように置きます。

「ああ、三味線が聞けると思ったでしょ?でも三味線はしばらく置かせておきます。」と肩すかし。
三味線を寝かしているその間、実際に中西さんが説経節を行っている映像が上映されました。

■説経節の「声」とごぜさんの「声」

それから司会の斎藤、伊東監督、中西さんを囲んでの鼎談です。

伊東監督から「伝統芸能」というものをどのようにとらえているか、という質問に対して、中西さんは中世の研究者である盛田嘉徳さんがしのだづまの語り手たちについて書いた「しのだづまの語り手」の一文を読まれました。
「不遇な境遇にいた人々たちは社会との接点を持つことが許されず、彼らの心の中にあるせつやなさや、ささやかな抵抗などがつまっている、とりわけ「子別れの段」はたんなる子との別れだけでなく、自分の境遇の不条理さや社会との軋轢に対するうめき声があり、それは現代にも通じるものである」(要約)とのこと。中西さんはこの一文をいつも三味線と一緒に置いているとのこと。

映像の中でも「民衆の気持ちがつまっているものがたり」という一言がありました。

そもそも中西さんが説経節をはじめるきっかけが、小沢昭一さんの劇団に在籍していたとき、劇団が解散になり、一人芝居をはじめたときに「葛の葉」を初めて演じる機会を持ったそうです。招かれた側は大阪の人権センターというところで、「葛の葉」は人権に関わるということで上演することになりました。
説経節はそれらの「社会とのつながり」の歴史が現代まで通じる要素を持っていると感じたそうです。例えば、「山椒大夫」では、連れ去りに合う安寿と厨子王の姿が強制連行や拉致に通じ、「小栗判官」で小栗が病気になり、滋賀から熊野の湯につけると元の姿に戻るくだりはハンセン病の歴史が含まれています。

”説経節には社会の下層の人々の夢やうめきがこめられていて、それでも最後はハッピーエンド「まことにめでたき次第なり」で終わるんです。”

と中西さんは言います。。

中西さんは、テレビが出てきてご実家の芝居小屋が下火になっていくのを見て、大学生時代までは絶対に役者になろうとは思わなかったそうです。
高度成長の時代にごぜさんが消えていく時期と、中西さんの師匠である、小沢昭一さんが放浪芸を集め始めのは時期的に重なっているといいます。
そして昔の方々は説経節のものがたりを知っていたのに、ある時代からその物語を知らなくなる、これはどういうことなのか、という問題も話されました。

それから、本日のお題として、伝統芸能は「伝承」できるのか、ということについて。現代演劇は前のものを潰して潰して前に進んできた経緯があります。その中で「伝承」することは難しくなっています。

ただ、それを残してほしい、という人がいる限りは、何かの形で残していけるのだと思います、と中西さんは言います。

労働力と機能していなかった盲目の女性たちにとって、生きるすべは「按摩さんか、ごぜさん」。それでも、伊東監督が出会ったごぜさんたちは、りんとして生きていた、と言います。
瞽女さんはいなくなったけど、それを見たいと思う人がいるかぎり、今の世界に通じる。語る方法はあるし、瞽女さんが伝わっていた物語は伝わり続けられている。ただ、受け入れ側の変化がある、と伊東さん。

ただし、それを掘り起こし、残していこうとする力も働いていることも事実です。
説経節の忘れられた演者であった若松若太夫が福祉員から”発見”されるお話、小沢昭一さんが探し出して復活させた「猿回し」の芸のエピソード、高田の方がごぜさんについて初めて知り、自分のまちを見直すときに発信していこうと思ったということは、今の自分が観ているのを次の世代へ伝えていく術を持つこと。

そして最後は中西さんが高座へあがり、山椒大夫の「親子対面の段」を演じてお開きに。声の力とものがたり、それを伝えていくこと。「伝承」とは「意志」であるということを感じた今回でした。

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