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12年1月28日『瞽女さんの唄が聞こえる』上映会と 坂本長利『土佐源氏』上演

2011年12月19日

『瞽女さんの唄が聞こえる』上映会と坂本長利『土佐源氏』上演

『瞽女さんの唄が聞こえる』上映会と坂本長利『土佐源氏』上演もんてん瞽女プロジェクト

2012年1月28日(土)午後1時半開場 午後2時~5時

2010年4月から隔月開催で6回の上映会と座談会を行ってきた「もんてん瞽女プロジェクト」。

2011年4月に上越高田に瞽女さんのゆかりの地を巡るツアーを開催して第1期を終了しましたが、今回は番外編として、盲目の元馬喰(ばくろう)を主人公にした坂本長利さんの『土佐源氏』を上演いたします。
未曽有の大災害、原発事故以来、これまでになく「生きる」ということ、「いのち」ということに向き合う日々が続いています。瞽女さんと土佐源氏、そこからきっと何かを感じていただけるはずです。

【プログラム】
●上映作品 『瞽女さんの唄が聞こえる』(34分)
監督 伊東喜雄
     
この映画はおよそ40年前の1971年、お元気だった最後の高田瞽女杉本キクイさんら3人の日常生活を中心に瞽女唄の稽古風景、かつての瞽女宿を訪ねた最後の旅の様子を記録したものですが、諸事情あって製作は中断されたままになっていました。その後、瞽女研究家の市川信夫氏の働きかけを受け、2008年に完成したもので、「瞽女」という存在が忘れられつつある現代にあって、貴重な映像であるのはもちろん、瞽女さんたちからさまざまなことを考えさせられる映画です。

●宮本常一の聞き書きによる「忘れられた日本人」より坂本長利『土佐源氏』(70分)

出演 坂本長利

  テレビドラマ『Dr.コトー診療所』の村長役でおなじみの俳優 坂本長利さんが1967年から45年にわたって上演している『土佐源氏』は、日本各地を始めポーランド、ドイツ、ブラジル、イギリスなど世界各国で公演が行われ、数々の賞も受賞しています。2011年に没後30年を迎えた民俗学者 宮本常一氏が高知県で聞き書きした盲目の元馬喰(牛馬売買人)の話を坂本さんが演劇化したもので、これまでに上演回数は1140回を超えています。初演が37歳だったという坂本さんは自身が土佐源氏の年齢を越え、82歳となった現在も各地で上演を続け、その至芸ともいうべき熟練の演技を披露しています。

入場料 2500円 学生・会員2000円(当日は+500円増)

主催    門仲天井ホール・瞽女プロジェクト
企画制作  斎藤弘美・黒崎八重子
会場・予約・問い合わせ  門仲天井ホール
門仲天井ホール/もんてん瞽女プロジェクト (担当:黒崎)
tel: 03-3641-8275
fax:03-3820-8646
mail: monteninfo@gmail.com (※メールアドレスが変更になりましたので、こちらにお願いいたします)

https://gozesong.wordpress.com/

第六回レポート「瞽女と地域コミュニュティのいま」

2011年6月4日

ごぜプロジェクト最終回のレポートは、東大で記憶やメディア史について研究している阿部さんにお願いしました。

記憶術。私が瞽女さんと聞いてすぐに思い起こしたことは、目の見えない瞽女さんたちが、どのようにして数百をも超える唄を覚えられたのかということでした。印刷技術はじめ、多様なメディアを介して記憶の保存ができるようになった今では、脳にだけ頼って記憶するということになじみがなくなってきていることも事実です。しかし、今また脳内の記憶とは異なる形で、記憶術は地域に必要とされつつあります。

“瞽女さんたちを、今度は私たちがどのように「記憶」し継承していくか。”

「もんてん瞽女プロジェクト」全体を見渡すと、「無縁社会」という名ばかりが横行している今日を再考するための記憶術のかけらがそこここに見られます。
今回は、そんな「もんてん瞽女プロジェクト」の中でもとりわけ地域の記憶に焦点を当てた最終回、「瞽女と地域コミュニティのいま」についてレポートします。

冬の空気が少し緩んだ2月の日曜日の昼下がり。
最終回ということもあってか、開場15分前から大勢の人が集まり始め、明らかに席が足りないという事態に。スクリーンの前に座布団席が用意するなど20席
ほど増席し、会が始まる前から瞽女さんへの注目度の高さがうかがわれます。今回は、新潟県高田地域(現・上越市)からたくさんの方が駆けつけてくださり、
会場内も高田の熱気であふれていました。

今回のゲストは、瞽女研究家であり、「高田瞽女の文化を保存・発信する会」の代表でもある市川信夫さんと瞽女文化を通じて高田の町おこしについて話してくださる小川善司さん。このほか、御歳108歳という迎えられる新潟県赤倉出身の後藤はつのさん、瞽女の絵を描き残した斎藤真一さんの絵のコレクターである池田敏章さんも、北海道から駆けつけてくださいました。会場内には高田の名産品であるお菓子やお米、お酒がずらりと並び、高田の町ごと門天にやってきたかのような雰囲気の中、「瞽女さんの唄が聞こえる」上映ののち、現在、日本で一番瞽女さんについてご存知だと言っても過言ではない、瞽女研究家の市川信夫さんから瞽女さんたちの生活についてお話をいただきました。

詳しくは、市川信夫先生からの瞽女さんについての寄稿文「高田瞽女の暮らしと地域の絆」をご覧ください

■第3部

市川さんから浄瑠璃のような瞽女さんたちの当時の暮らしぶり、旅の様子を語りで伺ったあと、司会の齋藤弘美さんから高田瞽女を保存する・発信する会の小川善司さんに質問をする形で、高田の町おこしについて話を伺いました。

Q「映画が町おこしのきっかけになったのですか?」
A「この映画を見て、なるほどなと思ったんです。私はうっかり配達先を間違ってキクイさんに会ったことがあるのですが、瞽女さんは高田の町の中では演奏をやら
ないので、実は高田に住む人には理解が少ないのですね。彼女たちの供養をやるときに会えるという感じです。ですから、映画は高田の人たちにとっては「発
見」であった。雪の高田に住み続けて、「同じ住むなら自分の町をいいな」と思えるようなことが欲しいとずっと思っていました。そこで、この映画に出会った
んです。例えば、斎藤真一さんは絵を通して、15年も瞽女や高田を描き続けてくれたんだなということなど、町の魅力はよそから来た人から言われて気づくものなのです。」

Q「今日は会場で「瞽女マップ」が配られていますね。ここにも、斎藤真一さんの絵があり、齊藤さんの絵には毎回3人の女の人が出てきますね。その絵が使われていたりして、瞽女の町をわかりやすく伝えています。高田の方々は、どのように「瞽女街」をつくっていこうとしているのですか。

A「 実は高田の町の中で、古い家を取り壊すという話があがったんですね。その時にこういった古い家を文化として残していきたいと思い、
市に働きかけて市で買ってもらいました。雁木(がんぎ)という雪除けの屋根のついた家で、雁木の出っぱった通りまでがその家の土地なんですね。雁木が通り
をつくり、雁木によって隣近所とつながっているんです。この屋根や通りのつくり方が高田の町の特徴で、どこまでも続くアーケードは異次元の世界につながっ
ていくようにも見えます。私たちは当たり前のように使っていますが、車社会になって町を歩くことも減りましたから、雁木をつくらない人も増えてきました。
そういうこともあってか、昔の建物が懐かしいものとして感じられるようになり、市をあげての保存活動となったわけです。昭和10年に建てられた町屋を甘味処として2日間だけ開くということもしました。キクイさんの家も同じような感じでした。家の中に渡り廊下があって。市もこれらの伝統ある家の保存に補助金出してくれるようになりまして、明治時代に建築された「旧小麦屋」を再生・活用した「町屋交流館高田小町」や100年以上残る日本最古の映画館として「まちなか映画館再生」という動きも始まっています。「高田小町」で初めてやった展示が、今日会場にもいらっしゃる池田さんにも協力いただいた、「斎藤真一展」でした。ですから、斎藤真一から瞽女に入った人、瞽女から斎藤真一に入った人、どちらもおります。
 最近では、市川さんと高田の町を巡るバスツアーもやっています。1日で瞽女さんゆかりの地を巡るというものなんですが、初回にはなんと70人ほどの方がご参加下さいました。既にこういったバスツアーを5回やっております。実際に瞽女さんたちが住んだその場所を巡りながら、自分の頭の中で瞽女さんの生活を思い描きながら歩く、というのが面白いのだと思います。」

Q「映画を見たみなさんの反応はどうでしたか?市川先生にも伺ってみましょうか。」

A 市川「昭和41年に日本青年団の文部省主催の会で、民族芸能として瞽女をやったんです。昭和41年
というと、古いものではなくより新しいものを求める時代ですから、大層驚かれました。まだこういう人たちや地域のつながりが、日本に継続して生きているん
だという驚きです。その時の演奏では、三味線の弦が切れてしまったんですが、瞽女たちはけして唄を絶やしませんでした。ある新聞記者がそのことに驚いて彼
女たちに質問すると、彼女たちは朝から浜で宴会やり、喉がかすれるほど唄うなどということはざらで、その分鍛えられていますから、三味線が弦が切れること
なんてどうってことないと答えたんだそうです。その頃から高田の人も高田を、瞽女を見直すようになりました。瞽女の文化を止めるわけにはいかんと。
  映画に関して言うと、やはり実際にキクイさんたちが動いている映画は珍しかったですからね。私からは伊東監督に、「お前が年をとるのは構わないから映画だけは撮ってくれ。」と伝えました(笑)。これだけの映像が残されていることが奇跡なんですよ。しかも、彼らの演奏風景だけではなく、ご飯粒を拾って食べる
ところなど当時の生活の跡が残っている。これは瞽女だからというものではないのです。伝統文化とは、もう一度活かそうというときに新しさが生まれるもので
す。どんなに新しいものもその瞬間から古くなっていくことを忘れてはいけません。」

このとき既に会の時間は押し迫ってきていたのですが、会場からの質問に移りました。

Q「先ほどの映画にとても感動したのですが、40年の隔たりをもって作られた映画の編集についてなど聞かせてください。」

A 伊東喜雄監督:
「できれば最初に撮ったフィルムだけで作りたかったのですが、40年も経ってしまうと、今度はその40年を映画のどこかに取り込みたいと思うようになりました。カメラマンは全くのボランティアで付き合ってくれまして、私から少しヒントを出すだけで、1人
で名所を撮ってまわってくれたんです。一般論としての瞽女さんと、取材を通して見えてくる瞽女さん。瞽女さんはどんな家で生まれて、どんな生活をしていた
のかも含めてです。瞽女さんの歩く姿を撮ってくれと私から頼んでも、彼は一向に前から写真を撮ってくれない。(笑)「瞽女さんはこれから消えるのだから、
後ろから撮るしかない」と言って聞かなかったということもありました。そのくらい、カメラマンの方の思いは強かったとも言えます。
この映画のカラーの部分はビデオカメラでして、このとき撮ってくれたのが40年前にカメラマン助手としてやってくれた青年でした。当時大学生だった青年が今は60歳なわけですよ。彼がまだ瞽女のことを覚えていて、「作りましょう」という情熱をもっていてくれた。40年
前のカメラマンは映画ができてすぐに亡くなってしまい、映画に音をつけてくれた私のテレビ時代の友人も、映画ができた途端に亡くなってしまいました。この
ようなことを見るにつけ、時間はやはり過ぎていくのだなと感じます。ですので、踊りの方々など、新たな瞽女が始まっていることを嬉しく思っています。」

また、映画のナレーションを務めた斉藤ともこさんからもエピソードを伺いました。
「瞽女さんのことは前から名前を聞いてはいたのですが、こういう映画は初めてでした。瞽女さんの日常がフィルムに残っていることに本当に驚きました。瞽女さん
が目の見えない人とは思えず、本当に彼女たちの動作は厳粛であり、清らかなんです。彼女たちの存在に自分の声で邪魔をしたくないという思いでいっぱいでし
た。」

最後に、今日の会を正月明けから楽しみにしてくださっていたという、新潟県赤倉ご出身で、今年108歳になる後藤はつのさんにマイクが渡され、ご長男の方に先導いただき、ご自身で拍子打ちながら妙高山の唄を唄い上げられました。はつのさんの唄と瞽女さんたちへの思いのつまった拍手とで大団円のうちに会は幕を閉じました。

■懇親会

「門天瞽女プロジェクト」の最後の最後の締めとして、会の後に懇親会が開かれました。高田の日本酒やどぶろく、ビール、ワインと並び、新潟の食材を使ったモコメシさん の料理がテーブルに所狭しと並びます。
高田の町を見て・聞くだけでなく、舌でも味わってしまおうという試みです。
高田名産のかまぼこ、味噌、岩の原ワインで漬けたたらなどが高田の方も新鮮な食材の使い方に驚いていました。
特に今回のために絞り立てをお持ちいただいた上越酒造の生酒、越後高田「瞽女唄」は絶品のおいしさでした。


参加者のみなさんはそれぞれ料理を楽しみながら、自分と瞽女さんとの関係をも噛みしめているようでした。

懇親会の途中で、司会の斉藤さんの計らいにより会場内全ての人に今回の感想を聞くという時間があったのですが、ここに集まったみなさんの瞽女さんとの関わり方は十人十色で、それぞれが瞽女さんへの思いを抱えながら集まってきていたのだなということがよくわかりました。これもまた、お酒や食がつなぐコミュニティであり、瞽女さんがつなぐ現代のコミュニティでありました。

■「瞽女と地域コミュニティのいま」に参加して

私自身、大学院でアーカイブやメディア史を専攻していることもあり、地域の記憶をどのように紡いでいくかということにとても関心をもっています。家族や地域、死者を含むコミュニティの紐帯としてある墓や、遠い昔の出来事の楔を打つ記念碑・記念館など、私たちは様々な形を通して、個人や地域の記憶に対峙しようとします。墓参という言葉もありますが、私はこれらの記憶装置について考えるときに、それにアクセスするという行為がとても重要だというように考えています。その土地や個人の記憶がそこにあるということ、そしてその記憶に会いに行くという行為こそが、寄る辺ない記憶を強くさせることにつながると考えるか
らです。瞽女さんたちは、伝統芸能を披露することを通して地域とつながり、地域の人々は瞽女さんたちがやってくるのを楽しみに待っていました。瞽女さんたちが歩いて農村間を回り、古くからある人情物語を唄いあげること、それは土地の記憶を継承する行為であると同時に、瞽女さんたちの回るコミュニティをコ
ミュニティたらしめるための、重要かつ神聖な儀礼だったのだと思います。だからこそ、村の男たちは何の躊躇もなく瞽女の親方であったハツさんの遺体を高田まで運んでくれたのだろうと。
そ して、記憶に会いに行くこの行為、冒頭では現代の「記憶術」という言葉を使いましたが、これは「門天瞽女プロジェクト」全体を言い表す言葉でもあります。
私は残念ながら最終回しか参加できませんでしたが、主催者の方々はもちろんのこと、参加者のみなさん一人々々が瞽女さんに何らかの強い思いを抱き、この会
に辿り着くことになりました。ある方は踊りという形で瞽女さんとつながり、ある方はナレーション、映画、絵画、家族や親戚が瞽女さんに興味があってという
つながりもありましたし、高田高校出身で最後の妙高山の唄が実は高田高校の校唄であり、大変懐かしかったという方もいらっしゃいました。そして、食という
つながりもありました。それぞれがそれぞれのつながりを持ちつつ一堂に会すということの贅沢さ、土地の記憶のもつ豊潤さをこれでもかというくらいに味わわせていただけたと思っております。このプロジェクト自体が、瞽女さんのように行脚の記憶術を続ける中で、いくつもの地域を超えたコミュニティを形成していくことを願いつつ、最後の締めとさせていただきます。どうもありがとうございました。

東京大学大学院学際情報学府 文化・人間情報学コース 博士課程
阿部純

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瞽女さんを通して、現代に生きるわたしたちとの接点を考える目的ではじまった「瞽女プロジェクト」。6回連続のプロジェクトとしては一旦終了しますが、今後もご縁が広がるような気がしています。

映画上映とゲストによる「トーク」を主軸に展開していった瞽女プロジェクトをHPで、しかも文字を主体にして残すことについては、アーカイブの形態として、はたして有効なのかというのは繰り返し自問自答してきたことでした。
ただ、この「記録」したことの力はもっと先に生まれるのではないかと思っています。
「いま」がすぐさま「過去」として積み上げられていくHPという空間を通して、もっと先の時間に何かのつながりを生み出す力になれば幸いです。

瞽女プロジェクトHP担当M

【最終回】2/13 第6回のテーマは「瞽女さんと旅」、「地域コミュニティ」、「まちづくり」です

2011年1月9日

 去年4月にスタートした6回シリーズの「もんてん瞽女プロジェクト」。今回が最終回となりました。これまでに瞽女唄、伝統芸、民俗、福祉などさまざまな視点で、伊東監督作品『瞽女さんの唄が聞こえる』を鑑賞してきましたが、最終回となる第6回は「瞽女と地域コミュニティのいま」と題して、瞽女さんの地元 上越市高田からのゲストをお迎えして開催します。
 映画の舞台となった高田には瞽女さんたちが共同生活する「家」が、多い時期で19軒ほどあったそうです。それぞれの「家」の親方は組になって「座」を作り、「瞽女仲間」として周辺の村々へ旅に出ました。年間300日以上を旅で過ごす瞽女さんたちにとって「旅=生活」であり、「旅=修行」でもありました。一方、瞽女さんたちが立ち寄る村々では、瞽女唄を聞くのを楽しみにしている人々が瞽女宿に集まり、瞽女宿であることが一種のステータスにもなっていたといいます。
 当日はいつものように映画の上映を行ったあと、親子2代に渡る瞽女研究家であり、「高田瞽女の文化を保存・発信する会」の代表でもある市川信夫さんに、瞽女さんたちの「旅」について、また瞽女さんたちを迎えた村の人々の生活についてお話しいただきます。
 続いて、瞽女さんのふるさと高田で、瞽女文化を通じて町おこしの活動をしていらっしゃるメンバーのひとり、小川善司さんに活動の経緯と活動内容についてご報告いただき、あらたな地域コミュニティのつながりについて、また今後の展開についてもお話いただきます。小川さんには4月に企画している瞽女ツアーのご案内をお願いしていますので、ツアーについても触れていただく予定です。
 さらに今回は、座談会終了後の午後5時から、高田特産の食材を使った軽食と飲み物をお出ししての交流会を企画しました。実費程度の会費をいただきますが、お時間のある方はこちらもぜひご参加ください。
 なお、4月16-17日の「高田瞽女ツアー」の詳細のご案内、申し込み受け付けもいたします。
 瞽女プロジェクトにこれまでにご来場いただいたことのない方はもちろん、ご来場いただいたことのある方も、最終回の今回は特別企画となっておりますので、ぜひご参加ください。

板橋春夫著「叢書・いのちの民俗学」全3巻

2010年12月16日

板橋春夫著「叢書・いのちの民俗学」全3巻板橋春夫著「叢書・いのちの民俗学」全3巻板橋春夫著「叢書・いのちの民俗学」全3巻

ごぜプロジェクト第3回のゲストとしていらしていただいた、板橋春夫さんの著書である「叢書・いのちの民俗学」の全3巻が今月発売の「生死」を持ってそろいました。

レポートはこちら。
板橋さんのおっしゃっていた「いのちの民俗学」についてより具体的な事例から触れられる機会になるかと思います。

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【紹介】板橋春夫著「叢書・いのちの民俗学」全3巻
ふだんの暮らしでふっと湧き起こる「冠婚葬祭」。
結婚式でもお葬式でも目出度さと悲しみの気持ちでいっぱいなのですが、日常とは離れた習俗や儀礼として垣間見てしまうと、目的とは別の心持ちを抱くことがあったりします。
「叢書・いのちの民俗学」は、民俗学者・板橋春夫氏の人生儀礼研究を「出産」「長寿」「生死」のキーワードでにわけ、冠婚葬祭(人生儀礼または通過儀礼と呼びます)で目にする民俗から「いのち」について考えるこころみです。

───民俗学とは “Way of Life” すなわち私たちはどう生きるべきかという命題に対して、重要なヒントを与えてくれる学問であると考えている。(板橋春夫)

第1巻 『出産 ─産育習俗の歴史と伝承「男性産婆」─』ISBN978-4-7845-0798-6
第2巻 『長寿 ─団子・赤飯・長寿銭/あやかりの習俗』ISBN978-4-7845-0799-3
第3巻 『生死 ─看取りと臨終の民俗/ゆらぐ伝統的生命観』ISBN978-4-7845-1701-5

発行/社会評論社
担当/板垣誠一郎

瞽女ツアーのご案内<申し込み受け付け開始>

2010年12月16日

門仲天井ホール瞽女プロジェクト「特別企画」
— 高田瞽女ゆかりの地を巡るツアー —
高田公園の満開の桜と高田瞽女が暮らしていた雁木の街なみとゆかりの地をめぐる特別企画です

日時:H23年4月16日(土)、17日(日)
費用:一人¥25,000(予定・高田駅集合、温泉一泊4食付)
募集人員:55名(定員になり次第締め切らせていただきます)
宿泊:くわどり湯ったり村(天然温泉露天風呂あり)
新潟県上越市皆口601 電話025-541-2611 http://kuwadori.jp/

☆集合/解散時間と場所
16日(土)午前10時30分(予定) 高田駅に集合
17日(日)午後 5時(予定)  高田駅にて解散

主な見学予定場所

高田瞽女が住んでいた雁木の町高田散策・杉本キクイ家・杉本家の墓・安寿厨子王の供養塔・杉坪薬師・瞽女宿だった曽我家など

協力:高田瞽女の文化を保存発信する会

申し込み:

案内書/申し込み用紙をダウンロードの上、下記までご連絡ください。
【PDF】もんてん瞽女(ごぜ)プロジェクト /瞽女ツアー 申込書(1)
【PDF】もんてん瞽女(ごぜ)プロジェクト/瞽女ツアー 申込書(2)

e-mail acn94264@par.odn.ne.jp
TEL  03-3641-8275
FAX 03-3820-8646

門仲天井ホール(黒崎)

詳細については、後日、参加希望者にご案内いたします。

[ 内容変更のお知らせ]12/12 第5回のテーマは「メディア」、「市民」、「伝える」です

2010年12月11日

[お客様へ]お詫びと変更のお知らせ

ドキュメンタリー映画の上映会と座談会 「瞽女を継ぐ者〜新しい市井の発信者達〜」
ゲストの都合により内容を変更させていただきます。
主催者より心からお詫び申し上 げます。
なお上映のみ予定どおり行います。
12/12/日/14:00〜 「瞽女さんの唄が聞こえる」上映会

終了後、お時間のある方は、
伊東監督との座談にご参加いただけましたら幸いです。

参加費 500円(チケットをお持ちの方には500円返金いたします)

この回のみのためにチケットをお求めいただいた方は、払い戻し可能です。不明な点はお問い合わせください(黒崎)。

Eメール: acn94264@par.odn.ne.jp
電話:03-3641-8275(火曜休館)13〜17時
ファクス:03-3820-8646

もんてん瞽女プロジェクトも、いよいよシリーズ後半。残り2回となりました。

5回目となる今回のゲストは、TVキャスターとしても知られるジャーナリストの下村健一さん。

下村さんには、市民メディア・アドバイザーとしての視点から「瞽女を継ぐ者~新しい市井の発信者達~」というテーマで、瞽女という存在が教えてくれる、市民メディアのあらたな可能性についてお話しいただきます。

前回の座談会でも、会場から「村に情報をもたらしてくれた瞽女」ということへの発言が相次ぎました。

民俗学でいうところの「マレビト」としての瞽女さんは、村々を回ることでさまざまな情報を運んできました。それは大メディアとは異なる作風、文体を持つ、市民メディアの情報伝達方法に重なるのではないでしょうか?
下村さんが考える、市民メディアと瞽女との共通性とは…。
瞽女の視点を現代に持ち込んでみると、その先に何が見えてくるのか…。

下村さんが紹介してくださるNPOのビデオを見ながら、
「現代の瞽女唄」ともいえる市民メディアの情報発信について、会場の皆さんとともに話を進めていきたいと思っています。ぜひご参加ください。

なお、今回はシリーズ番外編、4月の「高田瞽女ツアー」についてのご案内もいたしますので、お聴き逃しなく!

第四回レポート「瞽女という職業~共生の文化~」

2010年12月5日

瞽女という職業~共生の文化~

秋がようやく近づいてきた10/10、第四回のテーマは「瞽女という職業~共生の文化~」。
今回の『瞽女さんの唄が聞こえる』では、初めての試みとして、上映中に同時副音声がつけられました。
副音声を担当したのは、10年に渡って活動弁士として活躍し、
Bmap(Barrier free Movie for All People)というバリアフリー映画をつくる団体でも活動されている佐々木亜希子さんです。
映画のあとの第二部は、社会福祉がご専門の日本大学文理学部社会学科准教授、上之園佳子さんをゲストにお招きして「瞽女という職業~共生の文化」をテーマにトークがスタートしました。

なお、このレポートは千葉大学で高齢者施設に関するデザインを研究している小杉さんに書いていただきました。
ご自身の研究領域と重ね合わせつつの、充実のレポートとなっています。
ぜひご覧ください。

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第1部での「瞽女さんの唄が聞こえる」上映後、上之園さんは、福祉の観点から映画の感想を述べられました。

上之園佳子さん(日本大学文理学部社会学科准教授)

上之園佳子さん

<第2部>

瞽女さんたちの笑顔、迎える村の人たちの笑顔がとても印象深く、瞽女さんたちを支えている自然な形こそが、本来の福祉の姿ではないかと感じ、その一方で、あらためて一人ひとりの権利を守るための法の整備の必要性を考えたということでした。そして、座談会では瞽女さんの映画を通して、福祉や共生のお話をみなさんと一緒にできれば、と今回のテーマに対する思いを語りました。

■人間特有の行為

上之園さんが介護や福祉に興味を持ったのは「人が人を支える」「ケアする」「介護する」という行為が人間特有の行為であったということから。様々な動物がいるけれど、年老いた親を抱える猿や障害を持った仲間を支える象、そういうのはあまり見聞きしたことがない。
人間だからこそ厳しい状況の中でも、お互いにお互いを支え合うという行為が長い生活の中で営まれてきたのだということです。

■映像の中の瞽女さんの生活

映画での、瞽女さんたちが自然に人生を楽しんでいる姿や口を使って針に糸を通す姿や、庭に咲いているあじさいの香りを嗅ぎ、その花の感触を楽しむ姿に、「見えないから何もできないし、楽しめないだろうと考えるのは、目の見える私たちの一方的な考え方なのかもしれません」と上之園さんは指摘します。

実際、北欧では、目の見えない人たちも楽しめる森の散策やバードウォッチングがあり、土の香り、木のゆれる音、鳥の声を楽しむ趣味として広く楽しまれているということでした。
散策もバードウォッチングも「見えなければ楽しくないだろう」と固定概念を持ってしまいがちですが、障害があっても「同じように自然を楽しみたい」目が見えなくても生活を楽しむ、映画の中で丁寧に描かれていた瞽女さんたちの生活と通じるものを感じたということでした。

■職業の自立の視点から

多くの家が農家をしていた時代では、女性も働き手の一人で、農業を手伝うことが難しい場合、職業の選択は瞽女さんになるか、按摩さんになるかであったといいます。
しかし映画では、瞽女さんの仕事が持てる自分の力を発揮して、生計を立てて人に喜んでもらえ、自分自身が成長していくことができる職業というふうに表現されていました。
現在では、障害の持つ人への就労支援サービスが大きな支援になっており、仕事をして収入を得て経済的に自立をする、ということはまず一つ大きいことですが、それだけではなく、仕事を通じて多くの人が学ぶことができ、多くの人が自己実現に向かうことができるチャンスであると言います。
一方で難しいのは、どのように支援していくかということ。
さらに、瞽女さんという組織が成り立ったのは、瞽女の百人米や瞽女宿に見られたような、「地域で支える相互扶助の社会要請と仕組み」があったからではないかということでした。

■福祉社会制度•施策の視点から
次に、現代に至るまでの、福祉の法整備の流れについて話していただきました。
相互扶助の仕組みは、昔から日本の社会に存在していたもので、律令制度では「80歳以上の高齢者や障害のある人に必ず介護者や見守る人をつける」と法で定め、家族、子孫、親戚、地域で支えなくてはならないようになっていました。また、そこには障害の程度によって税が免除され、労働の提供の免除も記載されていました。これらの基になっていたものは、儒教の教えであり、それについては、孔子の論語の中にも記されていたことが紹介されました。

ところが明治にできた福祉制度では、障害を程度で区分し、さらに保護するという名のもとに、障害のある人たちを隔離する内容になりました。現代では、当事者自身の声が少しずつあがってきており、過去の反省をもとに「ノーマライゼーション(=高齢者や障害者などを施設に隔離せず、健常者と一緒に助け合いながら暮らしていくのが正常な社会のあり方であるとする考え方)」という概念が生まれてきたという流れになっています。
しかし上之園さんは、現行の障害者基本法、障害者自立支援法についても言及しなければならない部分があります、と問いかけます。それは、どちらの法も「支援」の言葉だけが前に出てしまっていて、本当の意味での「自立支援」というものが考えられていないのではということでした。

働きたい人が働ける、住み慣れた地域で暮らせるというような、障害者の方たちの持っている「思い」をまず考えることが、制度の基本にあるべきにも関わらず、障害を持っていない人の視点で制度や仕組みはつくられてきたこと、また、制度を整備する上で本当に大切なことが何かということについて語られました。

■共生の文化

映画では、瞽女さんたちと周りの人との相互の関係が築かれている中で、出会いがあり、知り合って、関わっていくことの重要性が描かれていました。
消えてしまった瞽女さんと地域との関わり。その中から現代における制度を考えるヒントが隠されているのではないか、そして、かつての瞽女さんのあり方を通じて、もう一度福祉の制度を見直すことの必要性、相互扶助の重要性が提言されていました。

もんてん瞽女プロジェクト

<第3部>

第3部では、上之園さんと映画を鑑賞した観客のみなさんとの座談会が始まり、瞽女さんを通して映画や、福祉の現状、共生に関するやりとりが交わされました。
また今回は、司会の斎藤さんの親戚で全盲の視覚障害を持つ岡崎さんがこの会のために岡山から盲導犬と一緒に参加してくださいました。

■瞽女さんと新潟
「瞽女さんの文化がなぜ北の方の冬雪深い山深い場所に生まれたのか」という質問については伊東監督からお話がありました。
監督によると、日本中に盲人の方はいたが、福島から北では女性の場合は、イタコになる人が多く、川越や江戸川など関東にも瞽女さんはいたようだが、最終的に高田や長岡の瞽女さんが残ったのは、新潟などは米どころで、瞽女さんに渡すお米を工面することができたことや「座」の制度が古くからあって、家元制が確立していたことにもよるのではないか—つまり、瞽女さんの文化と、新潟の風土、地域特性に関わりがあったからであるということでした。

■映画と同時副音声

今回、瞽女プロジェクトとして初めて行われた同時副音声の試みについても意見が交わされました。
映画には既にナレーションが入っているため「ナレーションの邪魔にならないような副音声を」と、佐々木さんがつくった原稿を監督と摺り合わせながら最終的に形にしていったというお話でした。
この副音声については、視覚障害者の岡崎さんから、モノクロか、カラーかの説明を入れてもらえると、映画の時代背景の感覚もわかる、逆に「お茶を入れている」などの説明はなくとも、急須の音で読み取れるという意見が出ました。
また、副音声をいれることは非常に難しいことだと思うとも言い、やはり、見える人にとってはうるさいのだろうから、必要な人だけがイヤホンで別に聞く方がいいのではないかというと感想を述べられました。
さらに、岡崎さんは、見えなくても、色のある世界に生きているから、色の説明も欲しいとお話しされました。
ご自身も美術館に行くのが大好きで、人を媒体にして絵を見ている、自分の目では見えなくとも何か波長のようなものを感じ取ることができていると思う、と色についての興味深いお話をしてくださいました。
岡崎さんの意見を受けて、司会の斎藤さんも、映画もだが、様々な制度やシステムを決める時には、色々な人と会うことや、障害のある人びとの声を聞くことの必要性と重要性についてあらためて言及しました。
副音声に関して伊東監督は、直さなくてはならない部分がわかったが、絵を説明することの難しさと語りすぎることの懸念もあり、入れるタイミングもとても難しいと感じたと話していました。
しかし、この先もずっと考えていかなくてはならないテーマと語り、佐々木さんも、作品によって雰囲気も違うし、どう伝えるのが効果的かなど葛藤はあるが、今回のように直に意見を聞ける機会がないので勉強になると、副音声の難しさと同時に今後への期待を語っておられました。

瞽女という職業〜共生の文化〜

■瞽女さんの持っていた役割

このほか、観客の方々からの発言も相次ぎました。

若い時にハンセン病で視力を失った人との交流があったという方からは、演奏する瞽女さんの笑顔、聞いている人たちの楽しそうな顔を見て、人間が役割を持つことの大きさを感じたという感想をいただきました。
「役割」というものをどう捉えるかは、時代や社会によって変わってきます。
上之園さんは、寝たきりの人にも果たすことのできる役割はあるはずで、様々な立場の役割を受け入れられる社会が豊かな社会といえると思う、と瞽女さんの姿を通して人間にとっての役割の重要性に触れられました。ほかにも「瞽女さんが地域をまわることで、他の地域の情報、役立つ情報を伝達する役割を担っていたと聞いたが」という質問がありました。

これについて伊東監督によれば、瞽女さんたちが自分の足で歩いて、隣村の情報や季節のことを伝える役割を担っていたり、親戚のように接した家では、こどものお祝いにはおみやげを渡したりということもしていたということでした。また、監督は、瞽女さんの話が美しい話ばかりとはいえないが、こういった周りの人間と瞽女さんのつながりの話などは、自分たちにとっても力になる部分があると思うと述べました。

■視覚障害を持つ方の職業選択

続いて、瞽女さんの話から現在の視覚障害者の方の職業選択へと話が広がりました。
「日本全国で30万人以上の人が視覚障害者として厚生省の統計にあがっているが、政府の行政として個人に対する職業の選択がうまくいっているか聞きたい」という質問に上之園さんが現在の就職状況を答えました。
戦後、「三療」といわれる針、灸、按摩の教育制度が整ったので多くの人教育を受けたが、今は半数以下になり、代わりに増えているのはパソコン(音声読み上げ機能のついた)を使った事務の打ち込み仕事などということでした。また、日本点字図書館の職員の方からは「全体的にはまだ三療の仕事が多いが、確かに若い世代にはパソコンの仕事が人気があると聞いていること、会社勤務の方や、大学の先生、弁護士の人もいる」という職業選択の現状が語られました。

瞽女という職業〜共生の文化〜

佐々木亜希子さん

■差別と共生

座談会の話し合いは、さらに本質的で深い部分へと進んでいきました。
「障害者の方への差別は表にださなくとも現実問題として心の奥深いところにあるが、どうすればなくなるのか」という質問に対しては「当事者が話さないと」と、岡崎さん自らがお話されました。
岡崎さんは日本の障害者観について3つの考え方があると言います。
「親の因果が子に報い」という言葉に見られるような因果応報観。それに「こぶとりじいさん」の話のような、自分と違うものに対して区別する形態異形の感覚と目がみえないから何もできないだろうという無能観などと言われてきました。
しかし、広瀬浩二朗さんの「障害者の宗教民俗学」という本には、「イタコさんはとても誇り高い人たちであった」と書かれていて、瞽女さんの文化もイタコの文化も日本の障害者観の中だからこそ培われたものなので、視覚に障害のある人たちはそうやって自分たちの立場をしっかりと拡充し、鍼灸、イタコ、琵琶法師などは日本独特のもので江戸時代から守られてきたということを岡崎さんはお話しされました。

伊東監督は、瞽女さんの話を切り口に「差別」について、以前キクエさんの妹さんに話を聞いたとき「瞽女さんたちはいろんなところを回って、唄をうたっておいしいものを食べているが、自分たちは農作業も、親の世話もあるから、よっぽど大変だった」と笑いながら言われたということでした。
目が見えないから不便、不便じゃないということは、各々の考え方次第で、この先障害を持って生まれた子たちが誇りを持って暮らせるようなシステムをつくれるかどうかは、それぞれみんなで考えていっていただきたい、と来ているみなさんに向けて監督の思いが投げかけられました。
 続けて、上之園さんも制度で変えることの難しさはあるが、その人たちが、一生懸命誇りを持って生きている姿や楽しんで生きている姿、夢を持って目標に向かって頑張っている姿を知った。障害のある人や介護の必要な人たちと接することで見えてくることがあり、変わってくることがある。まずは、いろんな人と接することができる社会をつくっていくことが必要であり、大切だと考える、と語りました。
 障害の有無に関わらず、生きていく上で人生に役割を持てることの大切さ、そして障害を持つ方や介護される方の役割を尊重することの必要性と、それらを受け入れる社会のシステムづくりが社会福祉の発達につながり「共生」へつながっていくということがわかりました。映画を見て、様々な人と触れあい、感じ、考えることができる場を提供することができる「瞽女プロジェクト」の役割の重要性を強く感じた一日でした。
 今回「もんてん瞽女プロジェクト」に初めて参加させていただき「瞽女という職業〜共生の文化〜」の回のレポートを書く機会をいただきました。このプロジェクトのお話を伺うまでは「瞽女さん」の存在すら知らなかった私でしたが、映画を観て、座談会に参加して、色々なことに気づかされ、考えさせられました。

現在大学院で「世代間交流促進におけるデザイン関与の可能性」というテーマの研究をしています。研究の対象は、高齢者施設を利用されている高齢者の方々です。
研究の調査を行う時には、現地へ行き、高齢者の方にお話を聞いて、施設で一緒に過ごし、現状を調査するというようなプロセスを踏んでいます。調査へ行くと、自分が高齢者に対しての認識が誤っていたということがよくあります。調査前に予想していたことと異なり、接して話してみて、初めてわかることがいくつも出てきます。
 映画を観た後の座談会で、伊東監督、佐々木さん、岡崎さんがお話しされていた、副音声の音声説明に対するご意見を聞いて、作り手側の難しさを知ると同時に、自分の研究活動でもそうですが、自分と違う立場の当事者の気持ちや要望を聞くこと、そこから意見を戦わせることの必要性を改めて認識しました。
 そして今回参加して印象深かったのは、瞽女さんたちの生活に見られたような「自分たちの役割を持つこと」の意味の大きさでした。それは世代間の交流の場においても同じことが言えるのではないかと思いました。高齢者だから出来ないだろうとか、わからないだろうなどとついこちらの視点で決めつけてしまい、精神的、肉体的にケアされる立場の人と一方的に考えてしまいがちな気がします。
 しかし、異なる世代、異なる立場の人、それぞれに担っている役割があり、お互いがその役割を認め合い、享受しあうことで、対等な相互の関係をつくり、交流を産み、持続していくことができるのではないかということをあらためて思いました。
 そして、上之園先生が仰っていた「福祉を考えるときのヒントは、制度やシステムだけではなく、本当は、瞽女さんの生活の中で描かれていたことの中にあるのでは」と仰っていたように、役割を持つことで、瞽女さんと村人とがつくったような相互に支え合う関係へつながっていき、さらに、そういう意識をひとりひとり持つことができる社会をつくっていくことが、共生の文化を育てていくのだというとても重要なことに気付くことができ、考えることができた素敵な回でした。ありがとうございました。

千葉大学大学院 自然科学研究科 人間環境デザイン学専攻
博士後期課程 小杉ももこ